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絨毯、キリムの文様の意味

先日ご紹介した本を、隙間の時間で読んでいます。

40年前の時点でこう言われてたんだなっていうのがあちこち見えてとても楽しいのですが、2018年の今でも変わっていないことがいくつかあって、その1つが絨毯やキリムの文様です。


絨毯やキリムを買うとき、入ってる文様の意味が気になりますよね。

でも、お店ごとに言っていることが違って、「?」となる方もいらっしゃるかもしれません。実際、私もそういうお客様とお話したことが何度もあります。

この本でも、「この文様はこういう意味!」と書いてあるのですが、「えっ私はこうって聞いたけど」みたいなことがあります。

こういう現状って変わってないんだなあと思いました。


これは、本やお店の人が嘘をついているということではありません。

大まかなイメージは共有していても、細かいところで違いがあって、それが差異になっているという感じです。


たとえば、




こういう文様があります(雑な写真ですみません)

イランとアフガニスタンの国境付近を遊牧していたバルーチ族(Baluch, Baluchi)の絨毯によくみられる文様です。

これはどう見たって鳥ですよね。

では、これは何の鳥なのか。これについては、いろいろな意見があります。孔雀という人もいれば別の鳥の名前を挙げる人もいますし、本によっても考え方が違います。

こういった差異は、遊牧民の絨毯のデザインの伝統に理由があると思います。


遊牧民の絨毯は、元来、設計図のないものでした。女性たちが遊牧の家事の合間に、家に伝わる絨毯のデザインを見ながら、あるいは身近な女性たち(たいていは母親や祖母、姉といった家族)に教えてもらいながら織っていたものですから、設計図の必要もなかったのでしょうね(今は少し事情も違ってきていますが)。

そして、口伝であるがゆえに、文様やデザインの意味合いが揺らぎ、変化していることは十分に考えられるでしょう。


「お母さんこれ何の鳥?」

「おばあちゃんに聞いて」

「おばあちゃんこれ何の鳥?」

「孔雀だよ」

「いやいや、○○の鳥だってうちのばーちゃんが言ってたよ」(乱入する隣のばーちゃん)

「??」


みたいなことがあっても、おかしくない。……かもしれません(笑)

そして、これが商業ラインに乗り、商人によって取捨選択され、それがさらに遠い日本まで伝わってくる……誰も意図しなくても、正確なところはわからなくなってしまうのでしょう。だから、お店や人によって言っていることが違ってきてるのだと思います。

何のデザインかという大本さえこうなのですから、そこに含まれた意味合い、何を願って作られた文様なのかについては、もっともっと違いがでてきてしまって当然と言えるでしょう。


それに、正確な意味を、「正解」を誰が知っているのかも、もうわからないのですよね。

研究者やバイヤーが、作り手の女性たちに口頭質問したとて、絨毯が紀元前から脈々と作られていることを思えば、本当に短い間の「正解」です。

本当の正解を知るには、そのデザインが作られたときに戻って、直接聞くしかないわけですから、「絶対の正解」は、やっぱり難しい。

だから、文様の意味というのは、遺跡調査などと一緒で、「多分こう」だというふんわりしたものなんじゃないかなと考えるようになりました。



だから私は、「正確さ」を求めて過去に潜るのと同じくらい、「こういう見方もある」「こういう人もいた」という、同時代の横の情報を知りたいなあと思います。

そこにどんな意味があるのか、いくつもの意味を知っていることで生まれる喜びや楽しさもあると思うんですよね。

ほら、花言葉でも宝石言葉でも、いい意味がいっぱいあると嬉しいのと同じかなって(ちょっと違う気もする……)




遊牧自体は、イラン政府の政策や現代化の流れにより激減しています。

その中でなくなってしまう、意味が伝わらなくなってしまう文様も多くあるのでしょう。

寂しいことだけれど、これも時間の流れなのでしょうね。





 
 
 

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